カウアイ島の観光スポット

キキ・ア・オラ | メネフネ・ディッチ
Kiki a Ola | Menehune Ditch

オラとメネフネの物語りを紡ぐ、ナゾに包まれた用水路。

ハワイ州カウアイ島のメネフネ・ディッチ

カウアイ島に残る、いくつものメネフネ伝説。ここにもまた、伝説の小人族メネフネの残した偉業の跡が残るスポットがある。Menehune Ditch(メネフネ・ディッチ)。ハワイ語で「Kiki a Ola(オラの用水路)」と呼ばれる石造りの用水路があるのは、ワイメア・スウィンギング・ブリッジの側。古い時代のハワイでは、Pali Uli(神たちのユートピア)と呼ばれた美しいエリアである。

緻密にカットされた石が互いに完璧にフィットして築かれた用水路に滑らかに水が流れ行く。このような細かい作業を用いた建築物がハワイで見られるのは、ここだけだとされている。ワイメア川上流部から中腹部にあるタロイモ畑に水を引くための灌漑用水路として造られたものだが、独特で完成度の高い建築構造物であることから、どうやって用水路が造られたかは、考古学的には未だにナゾとされている。

キキ・ア・オラの史跡
用水路キキ・ア・オラには現在でも豊富な水量が流れている。

Ola(オラ)とメネフネ

古代ハワイにおいて、ヘイアウや魚の養殖場、複雑な農業灌漑システムにいたる多くの建築プロジェクトを完成させ、農業と漁業の発展に大きく貢献したとされるチーフ、Ola(オラ)。その彼が、建築作業のほとんど全てを任せたのが、メネフネ族だとされている。

雨が降らずにタロイモ畑が干上がってしまうという危機を迎えたある年、Ola(オラ)はメネフネ族のチーフ、Papaenaena(パパエナエナ)に何か良い方法はないかと相談したところ、約束を守ってくれるなら用水路を造ってもいい、という答えが返ってきた。Papaenaena(パパエナエナ)からの約束は、用水路を造る夜には一切の音を立てないこと。イヌやニワトリの鳴き声、赤ん坊の泣き声がしないこと、人々は話をしてはならないこと。Ola(オラ)はそれらを承知して、メネフネ族に作業を依頼した。

建設作業が始まると、Ola(オラ)は祈りをあげたのち、Auwai(アウヴァイ/溝)で寝ることを強いられた。メネフネとの約束が守られ、すべてが計画通りに行われた場合は、水路から撥ねる水によって目が覚める。もし何かの音が聞こえたり、祈りが神によって受け入れられなかったなら、目を覚まさずに溺れ死んでしまうと、メネフネのチーフ、Papaenaena(パパエナエナ)は伝えたそうだ。

7マイルほど離れた採石場に20人の男のメネフネと、8人の女のメネフネを送りとどけ、川を渡って、ワイルア・ヘイアウがあるMokahina Ridge(モカヒナ峰)まで上がっていった。翌朝、Ola(オラ)が無事に目を覚ましたところ、一晩で立派な用水路が仕上がっていたという。メネフネは用水路が完成するともう一つの約束であった、一尾のOpae(オパエ/えび)を食べ、去って行ったそうだ。

1793年にこの地を訪れた探検家キャプテン・ジョージ・バンクーバーは、高い建築技術を用いた完成度の高いこの石の用水路を見て驚き、カウアイ島の農業システムを称賛したと言う。1924年に道路が敷かれ、その下には長さ42キロメートル、高さ20フィート(約610センチメートル)におよんだ用水路の大部分が隠されていると考えられている。この用水路に関しては、14世紀にタヒチから移住してきたポリネシア人によって建てられたという説もある。その起源と建築工法に関する真実は、いまだにナゾに包まれている。キキ・ア・オラ、メネフネ・ディッチには、ワイルア川からの水が今も豊かに流れている。

Column旅のワンポイントガイド

この用水路の名前に入っている「Ola(オラ)」とは、キャプテン・クックが上陸する何百年も前に、ワイメアの町を発見し、定住したとされている古代ポリネシアのチーフ、Kualunuikiniakua(クアルヌイキニアクア)の孫息子の名前。Ola(オラ)がチーフとしてこの地域を統治していた時代に、メネフネに造らせたことから、彼の名前がつけられている。

Information

地図 MAP
住所 Kiki a Ola, Waimea, Hawaii