カウアイ島の観光スポット

プリンス・クヒオ・パーク
Prince Kuhio Park

ハワイに数々の功績を遺したプリンス・クヒオゆかりの地

カウアイ島 プリンスクヒオパーク

カウアイ島の南、海岸線に沿って走るラワイ・ロード(Lawai Road)をククイウラから潮吹き岩(Spouting Horn)へ向かうと、最初に視界に飛び込んでくる海の景色が「ホアイ・ベイ(Hoai Bay)」だ。その反対の山側に、背の低い火山岩の塀で囲まれたなだらかな斜面に広がる公園がある。プリンス・クヒオ・パーク(Prince Kūhiō Park)と呼ばれ、ハワイアンが尊敬するプリンス・クヒオに深くゆかりのある大切な史跡である。

ハワイ・カウアイ島 プリンスクヒオ像
当時養魚場だった池とPrince Kuhio像。

昔、この辺りはカウアイの王達も度々滞在していたカホアイと呼ばれる漁村だったそうだ。クヒオ・パークには、当時のハワイアンの暮らしの名残りを垣間見ることのできる遺跡が数多く残っている。道路に一番近いところに、かつては養魚場だった池がある。その池の向こう側のスペースは、かつてハワイアンたちがゲームやセレモニーに使用した広場だったようだ。公園の東側には、カウアイ島の最後の王であったカウムアリイの孫、プリンス・クヒオが生まれた場所と伝えられる茅葺のハワイアンハウスの基盤となった岩石が大切に残されている。その後方には、古い石で囲んだタロイモの棚畑遺跡をはじめ、井戸や住居跡を見ることができる。西側の高台には、小さいながらも石の壁がしっかり残るホアイ・ヘイアウがある。これらの遺跡を散策しながら、かつてのハワイアンの暮らしを思い浮かべてみるとクヒオ・パークの奥深さが見えてくる。

カウアイ島 Koloa Heritage Trail
Koloa Heritage Trailの案内ボード。

現代に繋がるプリンス・クヒオの功績

プリンス・クヒオは、1871年にクヒオ・パークでカウアイ島の最後の王カウムアリイの孫のひとりとして生まれた。ジョナ・クーヒオー・カラニアナオレ・ピイコイ(Jonah Kūhiō Kalaniana’ole Pi’ikoi)が、彼の正式な名前である。幼い頃に両親が相次いで他界してしまったプリンス・クヒオは、カラカウア王の妻である叔母のカピオラニ女王に養子に迎えられた。プリンス・クヒオは、当時の王家の子供達の習慣に従ってオアフ島へ渡り学問の基礎を学んだ後、ハワイを出てカリフォルニアへ。更にはイギリスへ渡り農業やビジネスの学校を卒業した。カラカウア王が亡くなると、妹のリリウオカラニが王位を継承したが、プリンスクヒオの王位継承者としの地位に変わりはなかったそうだ。しかし、1893年にハワイ王朝は崩壊し、リリウオカラニ女王を最後にプリンス・クヒオが王位を継ぐことはなかった。そして、プリンス・クヒオは妻とともにヨーロッパの各地へ亡命の旅に出発した。ハワイへ帰還する前の3年間は、アフリカでイギリス軍に加わり戦争にも参加したと言われている。

1902年、ハワイに戻ったプリンス・クヒオは、ハワイの独立運動を開始。共和党に参加して王家で初の米国議会議員に選出された。その後も10回の選挙で当選を果たし、一生をハワイアンの権利のために戦った。ハワイ州には現在でも彼の功績によって生まれた制度が残されている。

  • ハワイ諸島の各島をCounty(群)として分ける群制度
  • 群レベルの地方政府を設立
  • 議会にハワイ州立法を導入
  • カメハメハ・デイをハワイの祝日に制定
  • ハワイ住宅委員会法の制定

などが一部である。特にハワイアンの権利に関する強い意思は、今日も誇り高き多くのハワイアンに継承されている。また、カメハメハ王の意思でもあったハワイの伝統と習慣を守ることを目的とする団体「ハワイ・シビック・クラブ」を設立したのもプリンス・クヒオである。現在、クヒオ・パークはこの団体が所有し管理を担っている。

プリンス・クヒオの死後、彼の誕生日である3月26日は「プリンス・クヒオ・デイ」として州の祝日に設定された。毎年、クヒオ・パークではプリンス・クヒオに捧げる盛大な儀式が行われている。

Information

地図 MAP
住所 Prince Kuhio Park Lawai Road Koloa Hawaii 96756